立位バランス回復における多関節トルクの制御:重心状態に基づくフィードフォワードとフィードバック機構

立位バランス回復における多関節トルクの役割

学術的背景

立位バランスは、人間の日常生活において不可欠な能力であり、特に外部からの擾乱に直面した際に、いかに迅速に股関節、膝関節、足関節のトルクを協調させてバランスを維持するかは、運動制御と神経科学の重要な研究テーマです。従来の見解では、バランス回復は神経を介したフィードフォワード(feedforward)とフィードバック(feedback)メカニズムの協調作用に依存していると考えられています。フィードフォワードメカニズムは、筋肉の短範囲剛性(short-range stiffness)を通じて即時の機械的フィードバックを提供し、フィードバックメカニズムは感覚入力によって筋肉を活性化し、遅延した関節トルクを生成します。しかし、フィードフォワードとフィードバックメカニズムがバランス回復にどのように寄与しているかはまだ明確ではありません。この問題を深く理解するために、研究者たちは新しいセンサー運動応答モデル(Sensorimotor Response Model, SRM)を開発し、バランス回復中の股関節、膝関節、足関節のトルク応答を分解し、フィードフォワードとフィードバックメカニズムの寄与を区別することを目指しました。

論文の出典

この論文は、Kristen L. JakubowskiGiovanni MartinoOwen N. BeckGregory S. Sawicki、およびLena H. Tingによって共同執筆されました。著者たちはそれぞれEmory UniversityUniversity of PadovaUniversity of Texas at AustinGeorgia Institute of Technology、およびEmory Universityのリハビリテーション医学部に所属しています。この研究は2024年12月11日にJournal of Neurophysiologyに初めて掲載され、タイトルは《Center of Mass States Render Multijoint Torques Throughout Standing Balance Recovery》です。

研究のプロセス

1. 研究デザインと参加者

研究には8名の健康な若年成人(女性4名、男性4名、平均年齢25歳)が参加し、全員が神経または筋骨格系の疾患歴を持っていませんでした。研究の主な目的は、支持面を後方に移動させる(support surface translations)ことで立位バランスの擾乱をシミュレートし、異なる擾乱の大きさにおける股関節、膝関節、足関節のトルク応答を分析することでした。

2. データ収集

参加者は、ランプアンドホールド(ramp-and-hold)の移動が可能なカスタムプラットフォームの上に立ちました。プラットフォームの下には2つの独立したフォースプレート(force plates)が埋め込まれており、地面反力(ground reaction forces)を収集しました。参加者はVicon Plug-in Gaitモデルに基づいた33個のマーカーを装着し、モーションキャプチャを行いました。また、研究者は参加者の左足の表面筋電図(surface electromyography, EMG)データを収集し、内側腓腹筋、ヒラメ筋、前脛骨筋、大腿直筋、内側広筋、大腿二頭筋、および中殿筋の筋電信号を記録しました。

3. 擾乱実験

各参加者のステップ閾値(step threshold)を決定するために、研究者はまずプラットフォームを後方に移動させて参加者のバランス能力を定量化しました。ステップ閾値は、参加者が修正ステップを取らずにバランスを維持できる最大の移動幅と定義されました。その後、参加者は12 cmおよびステップ閾値の75%、85%、95%のランプアンドホールド擾乱実験を40回行いました。参加者の予期反応を減らすために、実験中には前方擾乱の「キャッチトライアル」(catch trials)がランダムに挿入されました。

4. データ処理

研究者はOpenSimソフトウェアの逆動力学ツールボックス(inverse dynamics toolbox)を使用して、股関節、膝関節、足関節のトルクを計算しました。同時に、モーションキャプチャシステムとフォースプレートのデータを使用して、重心(center of mass, COM)の加速度、速度、変位を計算しました。筋電信号はハイパスフィルタリング、整流、ローパスフィルタリングの処理を経て、筋活動の分析に使用されました。

5. センサー運動応答モデル(SRM)

研究者は既存の筋電SRMモデルを改良し、トルクSRMモデルを開発しました。このモデルは並列フィードバックループ(parallel feedback loops)を使用して関節トルクを再構築し、各ループは独立した遅延とゲインを持っています。モデルの入力はCOMの運動学データであり、出力は関節トルクです。各ループのゲインと遅延を最適化することで、研究者はフィードフォワードとフィードバックメカニズムの関節トルクへの寄与を分解することができました。

主な結果

1. トルクSRMモデルの精度

トルクSRMモデルは、異なる擾乱の大きさにおける股関節、膝関節、足関節のトルク応答を正確に再構築することができました。モデルの適合度(R²)と分散説明率(VAF)はどちらも0.84以上であり、モデルが関節トルクの時間経過と振幅の変化をよく捉えていることを示しています。

2. フィードフォワードとフィードバックメカニズムの寄与

研究では、股関節と膝関節のトルク応答にはフィードフォワードとフィードバックの両方の成分が存在するのに対し、足関節のトルク応答はフィードバックメカニズムのみによって駆動されることが明らかになりました。股関節と膝関節のフィードフォワード成分は即時の機械的フィードバックとして現れますが、足関節ではアキレス腱の柔軟性(compliance)により、フィードフォワード成分が大幅に弱まっています。

3. 擾乱の大きさがフィードバックゲインに与える影響

擾乱の大きさが増加するにつれて、股関節と膝関節のフィードフォワードゲイン(feedforward gains)が有意に増加しましたが、足関節のフィードバックゲインは飽和現象を示しました。これは、股関節と膝関節のフィードフォワードメカニズムが擾乱の大きさに応じて調整できるのに対し、足関節のフィードバックメカニズムは大きな擾乱下で限界に達する可能性があることを示唆しています。

結論と意義

この研究では、トルクSRMモデルを開発することで、立位バランス回復中の股関節、膝関節、足関節のフィードフォワードとフィードバックトルク応答を初めて分解することに成功しました。研究結果は、COMの運動学データがすべての関節のトルク応答を駆動しているものの、異なる関節のフィードフォワードとフィードバックメカニズムには顕著な違いがあることを示しています。この発見は、バランス制御メカニズムの理解を深めるだけでなく、高齢者、神経筋疾患患者、または負傷した個人のバランス障害を評価するための新しい枠組みを提供します。

さらに、この研究のモデルと方法は、ロボット制御やウェアラブルデバイスの開発にも応用可能です。生理学的なバランス回復メカニズムを模倣することで、将来のロボットや外骨格デバイスは外部擾乱により適切に対応し、ユーザーのバランス能力を向上させることができるでしょう。

研究のハイライト

  1. 革新的なモデル:研究者はトルクSRMモデルを開発し、多関節トルク応答におけるフィードフォワードとフィードバック成分を初めて分解することに成功しました。
  2. 関節特異的なメカニズム:股関節と膝関節のフィードフォワードメカニズムが顕著であるのに対し、足関節のフィードバックメカニズムが支配的であることが明らかになり、バランス制御における各関節の独特な役割が示されました。
  3. 応用の可能性:この研究は、ロボット制御とリハビリテーション医学に新しい理論的基盤を提供し、よりスマートなバランス支援デバイスの開発に応用される可能性があります。