単一PR65タンパク質への小分子活性化剤結合の直接観察

単分子光学トラップ技術が小分子活性剤とPR65タンパク質の結合メカニズムを解明

学術背景

タンパク質ホスファターゼ2A(PP2A)は、重要な細胞シグナル調節酵素であり、その機能不全は多くのがんおよび慢性疾患(アルツハイマー病や慢性閉塞性肺疾患など)と密接に関連しています。そのため、PP2Aの再活性化はこれらの疾患に対する治療戦略として重要とされています。近年、小分子活性剤(SMAPs)が開発され、PP2Aの足場サブユニットPR65に直接結合し、その機能を回復させることが報告されています。しかし、PR65と小分子活性剤の結合メカニズムおよびタンパク質構造への影響は明確ではありません。この問題を解決するため、研究者たちは単分子光学トラップ技術(NOTs)と分子動力学シミュレーション(MD)を活用し、小分子活性剤ATUX-8385とPR65の結合動態および結合によるタンパク質構造変化を詳細に解明しました。

論文出典

本研究は、University of Victoria、University of Cambridge、Stony Brook Universityなど、複数の機関からの研究チーム(Annie Yang-Schulz、Maria Zacharopoulou、Semazeynep Yilmazら)による共同研究として行われ、2025年にnpj Biosensing誌に発表されました。この研究は、HFSP(RGP0027/2020)やBBSRC(BB/T002697/1)などの多くの基金の支援を受けています。

研究過程と結果

1. 研究過程

a) 単分子光学トラップ実験

研究者たちは、二重ナノホール光学トラップ(DNH-NOTs)技術を使用し、標識を必要としない条件下で、ATUX-8385とPR65の結合プロセスを直接観察しました。実験手順は以下の通りです: 1. サンプル調製:PR65タンパク質を5% DMSO溶液で20 μMのATUX-8385と混合。 2. 光学トラップ捕獲:レーザー光を二重ナノホールに焦点を合わせ、単一のPR65タンパク質分子を捕獲。 3. 信号記録:雪崩フォトダイオード(APD)を用いて、タンパク質の結合前後における光散乱信号変化を記録。 4. データ解析:隠れマルコフモデル(HMM)で信号を解析し、結合状態と非結合状態を区別し、結合および解離速度定数を計算。

b) 分子動力学シミュレーション

実験結果を検証するため、以下の手順で分子動力学シミュレーションを実施しました: 1. ドッキングシミュレーション:RosettaおよびAutoDock Vinaソフトウェアを用い、ATUX-8385をPR65の潜在的な結合部分にドッキング。 2. 分子動力学シミュレーション:PR65のapo状態とATUX-8385結合状態について、計4.224マイクロ秒のシミュレーションを実行し、タンパク質構造変化を解析。 3. 結合部位の検証:シミュレーション結果は、ATUX-8385がPR65の第4および第5ヘリカルリピート領域に安定して結合し、PR65を伸長構造にする傾向を示した。

c) 生物物理特性評価

結合特性をさらに確認するため、以下の技術を使用しました: 1. ナノ微分走査蛍光法(nanoDSF):ATUX-8385存在下でのPR65の融解温度変化を測定し、結合によるタンパク質安定性の向上を確認。 2. 蛍光偏光測定:蛍光偏光技術によりATUX-8385とPR65の結合定数(Kd)を測定。その結果、単分子実験と一致した9.4 ± 1.4 μMを得た。 3. 核磁気共鳴(NMR):19F NMRを用いてATUX-8385とPR65の結合を検出し、結合事象を確認。

2. 主な結果

a) 単分子実験の結果

  • 結合動態:NOTs技術により、ATUX-8385とPR65の解離定数(Kd)は13.6 ± 2.5 μMと測定され、蛍光偏光実験の結果と一致した。
  • 構造変化:ATUX-8385結合後、PR65の光散乱信号が大幅に増加し、タンパク質構造が緊密型から伸長型に変化したことを示唆。

b) 分子動力学シミュレーションの結果

  • 結合部位:ATUX-8385がPR65の第4および第5ヘリカルリピート領域に安定して結合し、実験結果の信頼性を検証。
  • 構造安定性:シミュレーション結果は、ATUX-8385結合後にPR65が伸長構造を形成する傾向を示し、実験で観察された光散乱信号増加と一致。

c) 生物物理特性評価の結果

  • nanoDSF:ATUX-8385結合後、PR65の融解温度は52.7 ± 0.1 °Cから53.5 ± 0.1 °Cに上昇し、タンパク質安定性の向上を示唆。
  • 蛍光偏光:Kd値は9.4 ± 1.4 μMと測定され、単分子実験結果と完全に一致。
  • NMR:19F NMR信号強度の変化により、ATUX-8385とPR65の結合をさらに確認。

3. 結論と意義

本研究は、単分子光学トラップ技術と分子動力学シミュレーションを組み合わせ、ATUX-8385とPR65の結合メカニズムおよび結合によるタンパク質構造変化を単分子レベルで初めて解明しました。この研究成果は、小分子活性剤ATUX-8385がPR65の延長構造を安定化させることでPP2Aの再活性化を促進することを示しています。この知見は、PP2A関連疾患の治療に新しい分子メカニズムの洞察を提供するだけでなく、薬剤発見における単分子光学トラップ技術の大きな可能性を示しています。

4. 研究の特徴

  • 単分子レベルでの研究:ATUX-8385とPR65の結合動態を単分子レベルで初めて観察。
  • 多技術による検証:NOTs、MDシミュレーション、nanoDSF、蛍光偏光、NMRなど、複数の技術を組み合わせて実験結果を全面的に検証。
  • 薬剤発見への応用:単分子光学トラップ技術の薬剤スクリーニングと結合動態研究への応用可能性を実証。

5. その他の有用な情報

まとめ

本研究は革新的な単分子光学トラップ技術を活用して、小分子活性剤ATUX-8385とPR65タンパク質の結合メカニズムおよびその影響を解明しました。この成果は、PP2Aの活性化メカニズムを深く理解するだけでなく、薬剤発見に対する新しい研究手法とツールを提供しました。