遺伝子共発現におけるネットワーク全体のリスク収束が精神分裂症リスクの再現可能な遺伝子ハブを特定
精神分裂症リスクの遺伝子ネットワーク凝集メカニズム——《Neuron》ジャーナルの最新研究解説
近年、精神分裂症(schizophrenia, SCZ)の遺伝研究は顕著な進展を遂げており、特に全ゲノム関連解析(GWAS)の推進により、多くの疾患関連遺伝的変異が明らかになりました。しかし、GWASの主な発見は依然として変異部位に集中しており、特定の「リスク遺伝子」を直接特定するわけではありません。この制限は、疾患メカニズムの解釈や新療法の開発を推進する上でボトルネックとなっています。こうした課題を克服するために、Borcukらは「汎遺伝子モデル」(omnigenic model)に基づくネットワーク凝集理論を提案し、それに基づく研究を行い、精神分裂症における遺伝子共発現ネットワーク内のリスク凝集現象の解明を試みました。本研究は2024年11月6日に《Neuron》ジャーナルに発表され、Johns Hopkins大学、Lieber Institute for Brain Development、University of Bari Aldo Moroなどの研究チームによって共同で行われました。
研究背景と動機
精神分裂症は複雑な多遺伝子精神疾患で、その遺伝的要素は非常に豊富ですが、具体的な遺伝リスクがどのように異なる遺伝子間で分布しているかは未ざまです。GWAS研究では、精神分裂症の遺伝リスクがゲノム全体に広く分布し、シナプス機能に影響を及ぼす可能性のある数千もの一般的な変異が関わっているとされています。しかし、これらのリスク変異は広範に分布し、強度は弱く、この分布パターンは「超多遺伝子構造」(super-polygenic architecture)と呼ばれ、数百または数千もの遺伝子が共同で疾患リスクに影響を与えているとされています。
Boyleらの「汎遺伝子モデル」仮説は、疾患の核心メカニズムに直接関連する核心遺伝子の数は限られている可能性があるが、その周囲に「周辺遺伝子」が広く存在しており、これらが核心遺伝子に影響を与えることで疾患表現型に間接的に影響を及ぼすと考えています。この理論モデルは、ゲノム中で核心遺伝子に近いほどGWASでのリスク信号が強くなることを示唆しています。したがって、本研究は共発現ネットワーク解析を通じてこのリスク信号の凝集現象を確認し、精神分裂症がこのモデルの予測に適合しているかどうかをテストすることを試みました。
研究方法とプロセス
本研究では、重み付き遺伝子共発現ネットワーク解析(Weighted Gene Co-expression Network Analysis, WGCNA)を用いて精神分裂症の遺伝子共発現ネットワークを構築し、複数マーカー遺伝子ゲノム注釈解析ツール(MAGMA)を通じて遺伝子リスクを評価しました。研究は以下のステップに分かれています:
遺伝子共発現ネットワークの構築:単一細胞RNAシーケンシングデータに基づき、研究チームはまず精神分裂症患者の異なる脳領域(前頭前野や扁桃体など)における遺伝子共発現ネットワークを構築し、精神分裂症リスクと有意に関連する遺伝子モジュールを特定しました(モジュールは共発現する遺伝子のグループを指します)。
リスク凝集分析:これらのネットワークにおいて、研究チームはMAGMAを使って各遺伝子にリスクスコアを付与し、ネットワーク全体でのリスクの分布を調査し、遺伝子ネットワークでのリスクの集中程度を定量化する「ネットワーク間リスク凝集(ANCR)指標」を計算しました。ある遺伝子ネットワークの高リスクモジュールが周辺遺伝子とどれだけ強く繋がっているかを調べ、そのネットワークのANCR値を評価しました。
細胞型特異的リスク凝集評価:研究チームはさらに、興奮性および抑制性神経細胞などさまざまな神経細胞型において上記のリスク凝集分析を繰り返し、特定の細胞型がより強いリスク凝集現象を示すかどうかを確認しました。
SCZ接続遺伝子の同定:GWASリスク遺伝子との接続強度を分析し、リスク凝集の中心として機能しうる遺伝子を特定しました。これらの遺伝子は核心遺伝子として機能するか、顕著な制御作用を持つ可能性があります。
研究結果
本研究の主な発見は以下の通りです:
精神分裂症の汎遺伝子構造特性:複数の神経系疾患の中で、精神分裂症のANCR値が最も高かったことが分かり、これは遺伝子共発現ネットワーク全体でリスク信号が顕著に凝集していることを示しています。このリスク凝集効果は第2層および第3層の興奮性神経細胞に集中しており、抑制性神経細胞ではリスク凝集が相対的に弱いことが示されました。
遺伝子モジュール内外のリスク分布差異:リスクモジュール内の遺伝子は高いMAGMAリスクスコアを示しており、これら高リスク遺伝子と繋がる周辺遺伝子も相対的に高いリスクスコアを示しました。この現象は、周辺遺伝子がネットワークの接続性を介して間接的に疾患リスクに関与するという汎遺伝子モデルの予測を支持します。
SCZ接続遺伝子の認識:研究チームは、SCZ-GWASと顕著に接続する遺伝子群を特定しました。特に、脳の特定領域、例えば線条体(striatum)にて多くのドーパミン信号伝達経路関連遺伝子が確認されました。これらの遺伝子の接続性および機能特性は、精神分裂症のリスク遺伝子の調整に重要な役割を果たす可能性を示唆しています。
薬物標的の可能性:CRISPRaによるPGC3遺伝子座のクライミングを使用した実験データに基づき、研究チームはさらに一部のSCZ接続遺伝子の調整機能を確認し、これらの遺伝子が将来の薬物開発の潜在的な標的となる可能性を示しました。
研究結論
本研究は、遺伝子共発現ネットワークを用いたネットワーク間リスク凝集分析を通じて、精神分裂症の遺伝子リスクの汎遺伝モデルを実証しました。研究は、精神分裂症の遺伝リスクが主にネットワーク接続性を介して複数の遺伝子モジュール間で凝集していることを示し、この現象は興奮性神経細胞で最も顕著であることを明らかにしました。研究結果は、精神分裂症の超多遺伝子構造特性を支持し、汎遺伝モデルのフレームワークの下で、GWASで直接特定されなかった潜在的核心遺伝子を明らかにすることができることを示唆します。
研究の意義
本研究は重要な科学的意義と応用価値を持っています。まず、遺伝子ネットワーク解析の手法を用いて精神分裂症の汎遺伝構造を実証することで、精神分裂症の遺伝的複雑性の理解に新たな視点を提供しました。次に、研究によって特定されたSCZ接続遺伝子は、将来の薬物開発の潜在的標的を提供し、特にドーパミン信号伝達経路関連遺伝子の作用メカニズムにおいて、現在の精神分裂症の薬物治療の改善に寄与する可能性があります。また、研究の重要性として、異なる細胞型間のリスク凝集分析を通じ、疾患における遺伝リスク分布を洗練し、将来的には特定の細胞型をターゲットとした治療が可能であることを示唆しています。
研究のハイライト
- 汎遺伝モデルの実証:本研究は精神分裂症領域で初めて汎遺伝モデルを適用し、遺伝子ネットワークのリスク凝集を用いてこのモデルの予測を実証しました。
- 異なる細胞型間のリスク凝集分析:研究は異なる細胞型間の遺伝リスクの差異を明らかにし、特に興奮性神経細胞におけるリスク凝集現象を示しました。
- 潜在的薬物標的の認識:研究によって特定されたSCZ接続遺伝子とドーパミン信号伝達経路関連遺伝子は、将来の薬物開発に向けた新たな標的を提供します。
研究の限界と今後の方向性
本研究は精神分裂症の汎遺伝リスク分布に新たな洞察を提供していますが、いくつかの限界があります。まず、研究で使用したサンプル数が限られているため、遺伝子ネットワーク構築の安定性に影響を与える可能性があります。次に、本研究は特定の脳領域においてのみ遺伝子ネットワーク解析を行いましたが、精神分裂症の発症はより広範な脳領域に関連する可能性があります。今後の研究では、これらの発見をより大規模なサンプルで検証し、脳領域を超えた遺伝子ネットワークの特性をさらに探求することが求められます。
本研究で採用された汎遺伝モデルは主に多遺伝子疾患に焦点を当てていますが、今後は単遺伝子または希少遺伝子疾患においてもその適用性を検証し、異なる遺伝的背景における有効性を探ることが期待されます。