がん治療のための赤血球-MHC-I共役体の開発

開発された赤血球-MHC-I結合体によるがん治療: 画期的な免疫療法

研究背景: 従来の役割と新たに発見された可能性

赤血球(erythrocytes)は人体で最も多い細胞であり、成人の総細胞数の約70%を占めます。これまでは主に酸素を運ぶ役割が知られていましたが、近年の研究により、赤血球が免疫系の調節にも重要な役割を果たしていることが明らかになりました。これらの細胞は核を持たず、生体適合性が高く、高い表面積-体積比および柔軟な細胞膜を持つため、薬物送達の理想的な媒体とされています。これまでの研究では、赤血球が化学因子、核酸、病原体など免疫関連分子と相互作用できることが示されており、たとえばダフィー抗原受容体(DARC)を介して炎症シグナルを調節することが報告されています。また、特定の病理的条件下では、赤血球が主要組織適合性複合体(MHC)分子を発現することも確認されており、免疫調節における潜在的な役割が示唆されています。

MHC-I分子はがん免疫療法で重要な役割を果たします。これまでにも、遺伝子工学で改変された赤血球を用いたがん治療の可能性が探求されてきましたが、その効果は限られていました。たとえば、MHC-I複合体を持つ赤血球には補助分子(4-1BBLやインターロイキン12など)が必要であり、単独での抗腫瘍効果は不十分でした。また、薬物負荷量が少なく、改変中に赤血球が損傷するため、治療効果が制限されていました。

こうした背景を踏まえ、本研究では、抗原ペプチド-MHC-I複合体(MHC-I-Ery)を赤血球に結合させ、抗原特異的なCD8+ T細胞を活性化することでがん免疫療法の可能性を探求しました。


論文情報と著者

この研究は、西湖大学、西湖実験室、浙江大学、北京大学など複数の機関の研究チームによって行われ、2024年の《Cell Discovery》誌に発表されました。主要な著者にはYuehua Liu、Xiaoqian Nie、Xingyun Yaoが名を連ね、通信著者はXiangmin Tong、Hsiang-Ying Lee、Xiaofei Gaoです。


研究プロセスと方法

1. 研究デザインと技術開発

本研究では、酵素を用いた結合技術(Sortase A変異体MG SrtA)を用い、人ヒトパピローマウイルス(HPV)16型腫瘍抗原E6/E7ペプチドを赤血球膜に結合させる方法を開発しました。

  • 融合タンパク質の生成: MHC-I分子と抗原ペプチド(HPV16 E6またはE7)を含む融合タンパク質を遺伝子工学により合成し、ヒト免疫グロブリンIgG1 Fc領域と結合させました。
  • 赤血球表面への結合: 硫黄-マレイミド反応を用いて融合タンパク質を赤血球膜に修飾し、MHC-I-E6/E7-Ery複合体を生成しました。
  • 効率の検証: 流式細胞術により、改変効率が99.5%に達することが確認され、赤血球の構造や柔軟性、抗貪食マーカー(CD47)の保持も確認されました。

2. 体外機能検証

  • T細胞活性化: HPV16陽性(HPV16+)宮頸癌患者から採取した末梢血単核細胞(PBMC)を使用し、MHC-I-Eryが抗原特異的CD8+ T細胞を効果的に活性化しました。インターフェロンγ(IFN-γ)の分泌は12.8倍増加しました。
  • 細胞毒性検証: 活性化されたT細胞がHPV16陽性腫瘍細胞に対して顕著な細胞毒性を示すことが体外実験で確認されました。

3. マウス体内実験

  • 腫瘍成長抑制: MC38-HPV16腫瘍モデルマウスにおいて、MHC-I-Ery治療群では腫瘍成長が71.6%抑制されました。
  • 免疫細胞応答: 脾臓でのCD8+ T細胞の増加と、腫瘍微小環境内の抑制性髄様細胞(MDSC)の顕著な減少が観察されました。
  • 併用療法の効果: PD-1抗体との併用により抗腫瘍効果がさらに向上し、40%のマウスで腫瘍が完全に消失しました。

4. 安全性評価

  • 非ヒト霊長類における評価: 恒河サルモデルでは、MHC-I-Eryが良好な耐性を示しました。3回の輸注後も赤血球の生存率は安定し、肝機能や炎症指標に異常は見られませんでした。
  • 病理学的検証: 心臓、肝臓、脾臓、腎臓、肺など主要臓器に毒性の兆候は確認されませんでした。

研究結果と意義

主な発見

  1. 革新性: 抗原ペプチド-MHC-I複合体のみを用いた赤血球が、免疫系を効果的に活性化し、抗腫瘍効果を示すことが初めて証明されました。

  2. 抗腫瘍メカニズム: MHC-I-Eryは脾臓のCD8+ T細胞を活性化し、腫瘍関連免疫抑制環境(例:MDSCの減少)を弱体化させることで腫瘍殺傷効果を高めます。

  3. 安全性: 動物実験においてMHC-I-Eryの安全性と優れた薬物動態が確認され、さらなる臨床研究への基盤が築かれました。

応用可能性

  • がん免疫療法: 本研究は、抗原特異的免疫療法の新しいアプローチを提案します。将来的には、さまざまな腫瘍抗原に対してこの方法が適用される可能性があります。
  • 自己免疫疾患: 赤血球が免疫調節に関与することを考慮すると、MHC-I-Eryプラットフォームは、全身性エリテマトーデス(SLE)などの自己免疫疾患の治療にも応用できる可能性があります。

結論と展望

この研究は、赤血球と免疫システムを統合する革新的な免疫療法プラットフォームを開発しました。長い循環寿命、高い薬物負荷量、および脾臓へのターゲティング特性により、MHC-I-Eryはがん治療の有望なツールとして注目されます。将来的には、MHC-I複合体の構造を最適化し、T細胞受容体(TCR)との結合効率を向上させることで、さらなる治療効果が期待されます。

本研究は、がん免疫療法の分野に新たな視点を提供し、赤血球を免疫調節媒体として活用する大きな可能性を示しました。