卵巣癌患者におけるゲノム不安定性のパターン

卵巣癌におけるゲノム不安定性研究の総合報告

背景と研究課題

卵巣癌(Ovarian Cancer)は、致命的な婦人科悪性腫瘍の一つで、近年の研究では標的治療の可能性拡大に注目が集まっています。ポリ(ADP-リボース)ポリメラーゼ(PARP)阻害剤の導入は、卵巣癌治療における画期的な選択肢を提供し、特に相同組換え欠損(HRD: Homologous Recombination Deficiency)患者に有効性を示しています。しかし、HRDの主な要因であるBRCA1およびBRCA2変異(BRCAM)以外にも、どの遺伝子や変異が関与しているかは明確ではありません。また、非BRCAのゲノム不安定性やそのHRD検査および精密治療への影響についても体系的な理解が不足しています。

この課題に応え、Alan Barnicleらは、6件の臨床試験(SOLO1、PAOLA-1、STUDY 19、SOLO2、OPINION、LIGHT)を基に、約2000人の卵巣癌患者を対象に包括的な分析を実施しました。本研究は、卵巣癌におけるBRCAおよび非BRCAによるHRD状態の駆動メカニズムとゲノム不安定性パターンの解明を目指し、PARP阻害剤や他の標的療法の最適化に寄与する知見を提供します。

研究概要と方法

本稿は、2024年に『Genome Medicine』誌に掲載され、AstraZeneca、リヨン大学、Gustave Roussyなど多くの研究機関の科学者が共同で執筆しました。この研究では、SOLO1(NCT01844986)、PAOLA-1(NCT02477644)など計6件の臨床試験から得た多施設データを用い、2,147例の高グレード卵巣癌患者の腫瘍サンプルを分析しました。研究では特に、Myriad Genetics社のMyChoice® CDx検査法を採用し、GIS(Genomic Instability Score, ゲノム不安定性スコア)という指標をもとに、異なる遺伝子変異(BRCAM、非BRCA HRRM、その他非HRRM)におけるHRD状態の具体的パターンと臨床的意義を総合的に検討しました。

研究デザインと実施フロー

サンプル収集と遺伝子検査

本研究は、BRCA1/2、非BRCA相同組換え修復関連遺伝子(Non-BRCA HRRM)、および非HRRM遺伝子(PIK3CA、CCNE1など)を含むサンプルに注目し、GISのパターンと分布を評価しました。以下が研究の主なフローです:

  1. 患者およびサンプル収集

    • 計2147例の高グレード卵巣癌患者の腫瘍サンプルを収集し、主に診断時または化学療法後に採取。
    • サンプルの種類:パラフィン包埋(FFPE)組織や血液サンプルなど。
  2. 遺伝子測定とGIS計算

    • Myriad社のMyChoice®法を使用し、HRD(ゲノム不安定性)の評価を実施。
    • GISスコア:全ゲノムでのLOH(Loss of Heterozygosity, ヘテロ接合性喪失)、TAI(Telomeric Allelic Imbalance, テロメア不均衡)、LST(Large-scale State Transition, 大規模状態転換)の各点を組み合わせ、0から100のスコアで評定。
  3. 統計解析

    • BRCAM(1021例)、非BRCA HRRM(121例)、非HRRM(1005例)の大分類に基づき、各グループのGIS分布やHRD陽性率(GIS ≥ 42)、二等位遺伝子喪失(Biallelic Loss)率を比較解析。

研究の革新性

本研究は、GISと108を超える遺伝子パネルの相互解析を初めて行い、非BRCAのHRDを駆動しうるメカニズムの可能性を示唆しています。また、このデータはPARP阻害剤の効果予測における重要な基盤となりました。


研究成果

BRCAMにおけるGIS特徴とHRD分布

BRCAM群(患者全体の47.6%)では、GISが高水準でHRD陽性(93.9%がHRD陽性基準達成)の特徴がありました。具体的な発見は以下の通りです:

  1. BRCA1 vs. BRCA2の差異

    • BRCA1変異患者の中央値GISは64(四分位範囲55-71)で、BRCA2患者(中央値59)よりも有意に高い(p < 0.001)。
    • 90%以上のBRCAM患者はBRCA遺伝子における二等位遺伝子喪失を伴い、HRDとの強い関連性を示しました(遺伝性起源でも体細胞起源でも同様)。
  2. LOH(ヘテロ接合性喪失)とGISの関連

    • BRCA患者中、二等位遺伝子喪失を持つ腫瘍ではGISが顕著に高い(中央値62)一方、単等位遺伝子変異患者ではGISが比較的低かった(中央値39)。

非BRCA HRRMおよび非HRRMの解析

非BRCA HRRMのGISパターン

13の相同組換え修復関連遺伝子(RAD51C、RAD51D、BRIP1、PALB2など)を含む非BRCA HRRM群は、以下の特徴を示しました:

  1. GISの大きな変動性:中央値は42(四分位範囲:29-58)であるものの、BRCA群より低い。
  2. 遺伝子特異的なHRDドライバー
    • RAD51C、RAD51D、BRIP1変異は高いGISスコア(例:RAD51D患者の中央値GIS 62)を示し、これらが標準的なHRDドライバー遺伝子であることを確認。

非HRRMのGISパターン

非HRRM群(1005例、うち868例でGIS評価可能)のGISは主に低水準に集中(中央値32、四分位範囲:20-55)したが、特定遺伝子(NF1、RB1)の場合、高いGISが観測されました:

  1. NF1/RB1 vs. CCNE1/PIK3CA
    • NF1やRB1変異患者では高いGISが見られ(それぞれ中央値49および55)、DNA修復以外の経路を通してHRD信号を提供する可能性。
    • 一方、CCNE1やPIK3CA変異は低いGIS(それぞれ24および32)を示し、多くが非BRCAM状態に限定。

臨床研究へのさらなる示唆

  • 異なる臨床試験間の結果差

    • 例えば、PAOLA-1では非BRCA HRRM群がHRDとの強い関連を示さなかったが、RAD51CやRAD51D患者の多いOPINION試験では高いGISを示しました。
  • 患者の異質性

    • HRD状態の基盤が単純なゲノム不安定性モデルを超える複雑な生物学的環境に依存している可能性を示唆。

研究の意義と今後の方向性

本研究は、卵巣癌におけるHRDに関わる非BRCA遺伝子の役割に光を当て、以下の重要な示唆を導きました:

  1. HRD陽性患者の治療潜在性

    • BRCAM以外の非BRCA HRRM遺伝子(例:RAD51C、RAD51D変異患者)もPARP阻害剤や他のDNA修復経路に適応される可能性。
  2. 非HRRM患者の標的治療可能性

    • GISと高い関連が見られるNF1やRB1変異、新たな治療標的としての探索が期待。
  3. 学際的ながん治療への応用

    • 卵巣癌の事例を超え、GISが高い非BRCA/非HRRM遺伝子変異がPARP阻害剤適応の拡大につながる可能性。

本研究は、卵巣癌のゲノム不安定性メカニズムを解明し、現有の標的治療の最適化や新規治療法の探求に向けた不可欠な科学的基盤を提供しました。